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独ソーラーワールドが破綻

〝太陽王〟の孤独な幕引き

ドイツの太陽光パネル大手ソーラーワールドが破綻の手続きに入った。高付加価値路線を貫き、孤軍奮闘してきた太陽王が力尽きた。(本誌・川副暁優)

「太陽王」と称されたソーラーワールドの経営トップ、フランク・アスベックCEO

ソーラーワールドは5月10日、事業継続を断念すると発表し、11日に地元ボンの裁判所へ破綻申請した。

突然の幕引きに、「まさかこんな結末になろうとは」と関係者は驚きを隠せない。

無理もない。3ヵ月前の2月10日、同社は単結晶型やPERC型など高効率パネルに生産を集約したうえで、年産能力を2GWへ引き上げる計画を示した。

むろん、2011年から同社の財務は悪化している。12年には市況下落が響き売上高は前年比42%の大幅減収、4.7億ユーロの最終赤字に陥り、長期負債は10億ユーロまで膨れていた。

だが、13年に金融負債の60%でデットエクイティスワップ(負債と資本の交換)を実行し、負債を半分に圧縮。カタールの政府系ファンドから29%の出資を受けたほか、負債の償還期限を5年延長する特別優遇も受けている。19年まで事業を継続できたはずだ。

なぜ破綻したのか。

確かに、13年末に6億ユーロあった長期負債は16年末に3.6億ユーロまで圧縮しているが、総資産6.8億円ユーロのうち、純資産は1.2億ユーロ。資産の切り売りだけでは再建は厳しい。

金融機関を頼ろうにも、すでに異例の救済を受けている。事業利益で負債を返済するほか手立てはないが、16年は1億ユーロの最終赤字だった。もはや自力では再起できず、経営が行き詰まったのかもしれない。

しかしどこに問題があったのか。以前ドイツのコンサル筋が、「創業者でCEOのアスベック氏は王様。ドイツでは太陽王と呼ばれていて、社員は誰も彼に異議を唱えられない」と語っていたことがある。事実ならば、破綻は中国メーカーの安値攻勢に対抗できなかった結果であろうが、高付加価値路線を採ったアスベック氏の経営判断や、その判断を修正できない組織にも問題があったといえよう。

ともあれ、アスベック氏の先見の明と行動力は、目を見張るものがあった。

氏は1988年、29歳にしてプラントエンジニアリング会社を立ち上げると、95年に太陽光パネルやインバータの販売を始め、98年にソーラーワールドを設立。当初は社員15人の零細企業だったが、翌99年にデュッセルドルフ証券取引所に株式上場し、2000年にはパネルメーカーやウエハメーカーを買収してメーカーへ転身を遂げた。

ドイツでは、00年にFITが始動し、04年から太陽光発電産業が勃興したが、このときソーラーワールドは、年商2億ユーロ、600人以上の従業員を抱える有力企業に変貌、原料からシリコンウエハや太陽電池セル、太陽光パネルまで一貫生産する体制を構築していた。ピークの10年には年商13億ユーロまで業績を伸ばしている。

その希代の敏腕経営者も、中国のパネルメーカーとの攻防で冷静さを欠いてしまったのか、大きく読みを見誤った。中国メーカーに対する反ダンピング(不当廉売)制裁のシッペ返しだ。

08年頃からアスベック氏は、割安な太陽光パネルをドイツへ輸出する中国メーカーに、ダンピングの疑いを持ち始め、ロビー活動を展開。やがて12年に米国が、13年には欧州が、それぞれ中国産パネルへの反ダンピング制裁を発動する。

これでソーラーワールドは中国産パネルの流入に歯止めをかけることに成功したが、14年には中国が欧米産ポリシリコンに対して反ダンピング制裁を仕掛け、ワッカーやヘムロックら欧米のポリシリコンメーカーは中国への販路を絶たれてしまう。そればかりか、ドイツ国内では、買取り価格が下落したにもかかわらず、突然安価なパネルを調達できなくなり、EPC(設計・調達・建設)業者や発電事業者が事業機会を失ってしまったのだ。

結局、アスベック氏は、自社の利益を守るあまり、市場の成長を阻害し、企業価値を落したというのがドイツの太陽光業界の評だ。孤立を深めた太陽王の残された道は、幕引きしかなかったのかもしれない。

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